校長ブログ

DNAの解析と考古学

2024.04.19 教科研究
4月19

 考古学は遺跡を発掘して歴史を解き明かす学問。近年では、埋葬された人骨に含まれるDNAを解析して血縁関係を突き止めることができるほど進歩しています。

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 例えば、岡山県津山市の三成四号墳という前方後方墳。前方部の石棺には3040代の男性と2030代の女性が埋葬され、以前は首長の墓と見なされていました。しかし、神澤秀明氏(国立科学博物館研究主幹)らが人骨の奥歯からDNAを抽出し、配列を調べた結果、夫婦ではなく親子と判明したのです。

 古墳時代や平安時代には、同じ墓に入るのは血族のみだったようですが、安達登氏(山梨大教授)らが和歌山県の田辺湾岸にある磯間岩陰遺跡に埋葬されている人骨のミトコンドリアDNAを解析したところ、母方の血縁者ばかりの中に一人だけ血縁関係がない中年の男性がいたそうです。この男性の石棺には15歳の少年が先に葬られており、他の石棺の女性たちと母方の血縁関係にあったとのこと。男性が女性の誰かの夫で、少年が二人の間の息子と考えると同じ墓に入るのは血族のみという仮説に整合します。

 この男性が配偶者の実家の墓に葬られた背景には、埋葬のやり方が関係しているようです。他の遺骨がまっすぐ足を伸ばしているのに対し、2人は膝を曲げ、足を開いた状態で、石室には貝殻とサンゴが敷かれ、海岸によくある穴だらけの磯石が置かれ、この地域の墓にはみられない特徴だったようです。

 これらの特徴を備えた墓は、神奈川県の三浦半島にあり、人の交流があったことがわかっています。男性はおそらく三浦半島から田辺湾岸に来て、ここで結婚して息子をもうけたものの先立たれ、出身地の方法で埋葬したと考えられています。そして、自身が死んだときは実家に戻さず、同じ墓に埋葬したのではないかと推定されています。調査はいまだ続いています。

 鳥取県東部にある青谷上寺地の人骨は、古墳時代より前の弥生時代のもの。神澤研究主幹らが核のゲノムを解析したところ、本州に住む日本人よりも縄文人寄りの人から、逆に渡来人寄りの人まで幅広く含まれていることがわかったそうです。同地は、北陸や四国で産出する様々な素材を使った弥生時代の装身具「管玉」を作る職人の町でした。管玉は九州北部でも見つかっており、交易のハブだった当時の姿を反映しているのかもしれません。

 核DNAの解析が考古学に活用されるようになってまだ数年しか経っていませんが、研究の成果に寄与することは紛れもない事実なのです。