校長ブログ
教育の本質を問う
2025.05.19
カリキュラム・マネジメント
5月19日
首都圏では中学受験が過熱しています。東京都心では小6の半数近くが入試にチャレンジするため、受験期には教室がガラガラになることもあるとか。小1から塾に通う家庭も珍しくなく、学校に宿題は出さないでほしいという要望が寄せられるほどだそうです。高校進学がほぼ全員となった今、どうしても内申点を意識し、日常が受験対策の連続になってしまいがちです。半世紀にわたって教育や受験の変遷を見つめてきた安田理氏(安田教育研究所代表)は、現代の学校教育が次の段階への準備に偏りすぎていることを指摘しています。
確かに、早い段階から大学受験対策が始まり、大学に入っても2年次からインターンに参加する学生が増えている現状。このように、学校が次への準備教育と化し、子供たちの貴重な成長の時間が、未来のための手段に消費されている感があります。
安田氏は、教育の流れの中で、子供たちは自分と向き合う時間が奪われ、非認知能力が育ちにくくなっていることを危惧されています。コスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)を重視する社会の価値観にもこうした体質が影響しているかもしれません。
教育の変化の背景には、入試制度の変遷や社会構造の変容があります。1960年代までは都立高校が進学の中心でしたが、1970年代になると高校進学率の上昇もあり、「15の春を泣かせるな」というスローガンが生まれるほど、受験競争が激化していきます。結果、東京、京都、阪神地区、広島、高知などで、学校間の序列を緩和する「総合選抜制」がとられ、公立高校が平準化されますが、生徒の学力はレベルダウンしていきます。
総合選抜が実施されなかった県は別として、教育熱心な保護者の中で中学受験熱が高まり、私立中高一貫校人気につながります。公立高校の入試自体も全員が同じ問題を同じ時間で解くのが原則でしたが、学区制が廃されて全県1学区になったり、上位校は英数国については別問題になったりする県も出てきました。併せて、米国から自由主義の考え方が入ってきてからは、入試でも競争原理、規制緩和、選択の自由などの方向に動きました。
家庭の経済状況や就業形態の変化も、私立志向を後押ししています。かつての自営業者は地域とのつながりを重視し、公立志向が強かったのですが、今やフランチャイズ経営などにより事情が異なり、子どもを私立に進学させるケースも増えているとか。
近年では、難関校進学だけでなく、グローバル教育、STEAM教育など、価値観も多様化しています。1990年代以降、非正規雇用が上昇したことから、将来、子供の将来を見据え、早い段階から進路決定を望む保護者が増えたことも中学受験が右肩上がりになった要因の一つと考えられています。
予想不可能な不確実性の時代、保護者は社会に通用する力をつけ、成長実感を付与してくれる学校を探し求めています。学校の役割は、今、この時期にしかできない教育とは何かと問いかけ、生徒の発達段階に応じた学びを提供すること以外にあり得ません。
もちろん、次の段階へのスムーズな接続も大切ですが、それだけでは教育が空洞化してしまいます。先を案じるあまりに効率ばかりを追い求めるのではなく、生徒たちが中高時代に夢中になれることを見つけ、その挑戦を支える姿勢を持っていきたく思います。教育が準備ではなく成長の場であり続けるために、学校も日々問い続けていかなければならないのです。