校長ブログ
失われた30年
2025.06.26
トレンド情報
6月26日
今春、一人の高校生がアメリカのプロ野球、メジャーリーグへと旅立ちました。東京の桐朋高校で投打の二刀流として活躍した森井翔太郎選手です。彼はオークランド・アスレチックスと契約し、プロの舞台を海の向こうに求めました。その契約金は、2億円を超えると言われています。
日本では新人選手に支払う契約金の上限が設けられていますから、まさに別世界の話のようにも思えます。今から30年前、1995年に野茂英雄投手がメジャーリーグに挑戦し、日本の野球界に衝撃を与えました。当時、日米のプロ野球の経済規模には、そこまで大きな差はありませんでした。桜美林大学の小林至教授によれば、90年代半ばには球団の平均売上では日本の方が上という推計もあったそうです。
ここまでの差が生まれたの理由の一つには、MLBが徹底して商業的な視点で運営されてきたことがあります。かつて、日本でもダイエーの創業者である中内㓛氏やロッテに在籍していた瀬戸山隆三氏が様々な提案をしましたが、「横並び」の考え方がネックとなり、道は閉ざされました。小林氏は、日本のプロ野球がまるでサークルのように閉じたコミュニティになっていると指摘されています。
専修大学の岡田憲治教授は、日本のベースボールは衰退の危機に突入していると述べられています。事実、野球少年の数は少子化以上のスピードで減少しており、甲子園常連校への選手集中も進んでいます。また、試合に出ることなく、応援だけで終わる選手が増えている、昭和の時代のように、忍耐と従順を重んじる人間像の育成には貢献してきたが、今の時代には合わない。岡田氏の言葉には、教育にも通じる深い示唆があります。
今や、森井選手のように、若い世代が日本を飛び出し、世界に挑戦する時代。岩手・花巻東高校の佐々木麟太郎選手はアメリカの大学に進学しました。国内に留まることで才能が十分に発揮されない構造があるのだとすれば、それは教育の現場とも共通します。
振り返れば、日本野球にも社会にも、改革のヒントは常にありました。ただ、それを活かしきれなかったのも事実。しかし、時代は変容しているのです。小林氏は世界の企業にオーナーを求めることで、まだ可能性はあると述べています。このような経済格差の広がりは、単なるスポーツビジネスの現象というより、1995年以降の「失われた30年」と言われる日本社会全体の縮図のように感じられます。
学校でも同様です。多様な価値観や可能性を持つ子どもたちに、画一的な枠を押し付けることなく、それぞれが活躍できるステージを見つけさせること。海外へ飛び出すことも、日本に残って挑戦することも、どちらも尊い決断です。変化にどう向き合い、どこまで開かれた姿勢を持てるか。それが未来を決めていくのだと思います。