校長ブログ
英語教育を考える⑥ートランスランゲージングⅠ
2025.07.30
教科研究
7月30日
トランスランゲージング(Translanguaging)についてのY氏との対談からの一コマです。
Y氏:お忙しい中、失礼します。校長先生は、英語教育でトランスランゲージングを推奨されているとお伺いし、本日、おじゃました次第です。よろしくお願いします。どうしてこの理論に注目されたのでしょうか?
校長:言語を分断しないという発想に未来を感じますね。英語教育というと、どうしても母語は使わず、英語だけという発想になりがちですが、それだけでは、生徒たちの思考の幅を狭めてしまっているのではないかと思うのです。
Y氏:なるほど。実際に、授業ではどのようにトランスランゲージングを活かすよう助言されているのですか?
校長:例えば、中2の「SDGsをテーマに英語で発信する」の指導で言うと、最初から英語だけで議論させようとするのではなく、日本語で深く考えさせる時間を与えるようにしてもらっています。「フードロス」というテーマなら、「なぜ家庭で食べ物が無駄になるのか?」を日本語でブレーンストーミングし、その後に、それを英語にどう乗せるかを一緒に考えるといった具合ですね。
Y氏:言語を切り替えるというより、言語間を行き来しながら思考が深まるような設計ですね。
校長:その通りです。トランスランゲージングというと「英語の時間に日本語を使うことの正当化」と捉えられることもあるんですが、母語である日本語の思考の力を最大限に活かして、英語での表現に昇華する、そんなプロセスを大切にしています。
Y氏:高校ではさらに抽象度の高いテーマも扱うと思いますが、どのような場面で効果があるのでしょうか?
校長:高1の探究型授業で「自分の地域を紹介する動画を英語で制作する」という課題を設定した例で考えてみましょう。まずは「地域にどんな価値があるか」「どんな視点で伝えるべきか」をすべて日本語で深堀りします。その上で、必要な語彙や表現を探り、英語で構成を組み立てる。途中で、「これ英語で何て言うんですか?」と聞いてくる場面があるんですが、それをきっかけに「文化の違い」「表現のズレ」に自然に気づいていくのです。
Y氏:まさに言語を超えた認知的な学びですね。
校長:そうです。英語という言語を通じて、いかに多角的に考え、他者とつながり、自分の世界を広げられるか。そのためには、日本語を土台として活かすという発想です。
Y氏:英語の時間に日本語を使いすぎると、英語力がつかないのではないかという懸念もありますが...
校長:母語で考え抜いた言葉こそ、異言語でも説得力を持つと考えたいですね。生徒たちが自分の言葉で、自分の体験や思考を語れるようになったとき、英語という別のコードでもきちんと伝える力はついてきます。そのためのプロセスとして、日本語を戦略的に位置づけるのがトランスランゲージングの醍醐味ではないでしょうか?
Y氏:トランスランゲージングの授業を経た生徒たちに、どのような変化が見られましたか?
校長:「自分の考えを英語で言いたくなった」という声がよく聞かれます。これはつまり、言語習得ではなく、表現欲求です。言語が目的ではなく、表現の手段になったとき、学びは加速します。その瞬間をつくることが、教員がファシリテーターになる瞬間だと思います。(続く)
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