校長ブログ
教科内容の精選
2025.08.13
カリキュラム・マネジメント
8月13日
文科省が中央教育審議会の特別部会で示した、教科書の内容を精選するという方向性は、教育現場にとって極めて本質的な問いを突きつけるものだと思います。すなわち、子どもたちが本当に学ぶべき「核」とは何か、そしてその核をいかにして深く根づかせるのかという問いです。

今回の案では、教科書に掲載する内容を「教科の中核的な概念」に絞り、発展的な内容やコラム、図解などは副教材として教員の判断で柔軟に活用する方向が示されました。これは単なる分量調整ではなく、カリキュラム・マネジメントの視点から見ても重要な転換だと言えます。
この20年間で、教科書のページ数は約2〜3倍に膨れ上がりました。その背景には学習指導要領の高度化と、それに応じた出版社の「わかりやすさ」への工夫があります。
しかし、結果的に「教科書に載っているものはすべて教えなければならない」という暗黙の圧力が、現場に重くのしかかっているのも事実です。実際に、ベネッセ教育総合研究所の調査では、小学校高学年の教員の9割が「教科書通りに教えている」と回答しており、教師が創意工夫を発揮する余地が狭まっている現実があります。
教科書本文に関連する図解や写真、コラム、発展的な内容、児童生徒同士で議論するための投げかけなどは厳選して掲載するといった対応の検討が考えられます。「すべてを教えること」に注力するのではなく、「なぜそれを教えるのか」「それによって何が育つのか」を問い直さねばなりません。教育の目的は、知識の詰め込みではなく、思考力・判断力・表現力、そして主体的に学ぶ力を育むことにあります。そのためには、教科書を単なる教えるべき内容の集積と捉えるのではなく、子どもたちの探究を喚起するための「導入の装置」として再定義する必要があります。
もちろん、教科書に掲載する内容を精選することで、基礎的な理解にとどまり、学びの深まりが失われることがあってはなりません。しかし今回の提案では、むしろ教科書を核に据え、その周辺にある多様な教材を教員が判断して取り入れるという「設計の自由度」を高めることが意図されています。これはまさに、教師がカリキュラム・デザイナーとしての役割を果たすべきだという現代的要請と合致するものです。
AIの進化する社会において、単に情報を知っていることよりも、それをどのように使うか、どのように意味づけるかが問われる時代です。中核を深く理解し、そこから発展的な学びに自ら踏み出すことができるような教育設計が、これからますます求められます。
教科書を軽くするという表面的な議論ではなく、「何をもって子どもたちの学びの中心とするのか」という深い問いに応えながら、私たち教員は教材の精選と構成、そして対話的な学びの場づくりに主体的に関わっていく必要があります。
2026年度に予定される中教審からの答申を経て、2030年度から順次実施される新たな学習指導要領が、こうした本質的な改革の起点となることを期待しつつ、私たちは「教える」ことの再定義に向けて、一歩ずつ歩みを進めていく覚悟をもたねばなりません。