校長ブログ

動物の言葉

2025.08.21 教科研究

8月21

 人間は「言葉」を持つことで文明を築いてきました。複雑な文法を使い、論理を構成し、感情を伝え、思考を共有します。だからこそ、言葉を使う自分たちを「他の動物とは異なる特別な存在」として見てきたのかもしれません。しかし、最近の研究が、こうした前提に静かに、力強く揺さぶりをかけています。

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 東京大学の鈴木俊貴准教授が米科学誌「カレントバイオロジー」に論文で掲載したシジュウカラの研究がその象徴。シジュウカラが「ピーツピ」と鳴けば「警戒しろ」、「ヂヂヂヂ」なら「集まれ」。これらを組み合わせた「ピーツピ・ヂヂヂヂ」は「警戒しながら集まれ」という明確な意味をもつそうです。驚くべきは、それを逆にして「ヂヂヂヂ・ピーツピ」とすると、仲間はまるで意味を理解できないかのように反応しなくなるとのこと。「シジュウカラ語」は約100個以上の文法を持つ可能性があり、これはシジュウカラの「ことば」には文法構造がある証左です。

 語順に意味が宿るというこの基本的な構造を、野生の鳥がもっているという事実には、驚きと敬意を覚えます。言葉の習得とは単なる語彙の積み重ねではなく、関係性の中に意味を見出す営みなのです。

 この分野は日本から世界へと広がっています。チューリヒ大学のサイモン・タウンゼント教授らは、チンパンジーが「フー」と「ワア」という異なる鳴き声を組み合わせて、仲間にヘビの危険を伝えている可能性を示しました。また、コロラド州立大学の研究では、アフリカゾウが個体ごとに「名前」のような鳴き声を使い分け、仲間を呼び分けている可能性があることも分かってきました。

 このような研究成果は、動物行動学や音声言語学の枠を超え、人間の存在そのものを見つめ直す契機を与えてくれます。アリストテレスは「人間だけが言葉を持っている」と述べ、ダーウィンも動物の鳴き声を単なる情動の発露と考えていたとされます。しかし今、私たちは動物の「声」に、構造を持った「ことば」の萌芽を見つけつつあります。

 このような研究に触れるとき、教育に携わる者として、「人間中心主義」のあり方に問題意識を感じざるを得ません。生徒たちにも、「人間だけが優れている」「他の生き物より賢い」といった先入観を持つのではなく、私たちも地球の一員として、他の種と学び合える存在であるという謙虚な姿勢を伝えていきたいと思うのです。

 教室には、鳥の声は聞こえません。しかし、生徒たちの「声」には、それぞれに異なる意味と背景があり、互いの「言葉」をどう聴き合うかという問いは、シジュウカラやゾウの研究と地続きです。文法や語順を正しく理解することも大切ですが、その奥にある「伝えたい」「つながりたい」という本質に気づくことこそが、本当の意味での言語教育なのだと思います。

 動物たちの声に耳を澄ませるとき、私たちは逆に、自分たちの「ことば」や「関係性」についても、深く考え直すきっかけを得るのかもしれません。ヒトという種を特別視するのではなく、他の生き物と「ことば」を介して心を通わせようとします。その姿勢こそ、これからの教育に求められる「共生」の起点であると感じています。