校長ブログ
難化する化学
2025.10.11
教科研究
10月11日
高校生の化学に対する苦手意識が、近年ますます顕著になっているように感じます。生徒や教員からの声を整理すると、その背景にはいくつかの要因が見えてきます。
第一に、有機化学における名称の扱いについて。従来の教科書では化合物を慣用名称で記載していましたが、規則性に乏しく暗記負担が大きいという問題がありました。そのため現在では、規則性のある正式名称へと統一が図られています。例えば、エチレンはエテンに、プロピレンはプロペンに置き換えられるといった具合です。ところが、現行の教科書では慣用名称と正式名称の双方が併記され、大学入試でも両者が出題対象となっています。結果として学習内容が拡張し、かえって受験生の負担が増しているのが実情です。
第二に、教科書の記述肥大化があります。本来、学習指導要領に示されていない発展事項までもが「補足」や「発展」の形で掲載され、医学部入試を中心に扱われています。教科書に記されている以上、生徒も「正規の学習内容」と受け止めざるを得ず、受験範囲が際限なく広がってしまいます。
第三に、大学入学共通テストの出題形式。2025年の本試験における化学の平均点は45.34点と、センター試験時代を含めても最低水準に落ち込みました。問題量が多く、一定の知識を持っていても時間的制約のために得点化が難しくなっています。知識の定着と処理スピードの双方を同時に求める設計は、受験生にとって二重の負担です。
一方、数学をはじめとする他教科では原則として指導要領外の内容は出題されません。化学だけが特異的に広範囲を課されている状況は、受験生の立場から見れば構造的な不公平感を生んでいるのです。
現在、次期学習指導要領改訂に向けた議論が始まっています。高校教育全体において「幅広さ」と「適正な学習量」のバランスをいかに確保するかは重要な論点。知識を広げること自体は大切ですが、過剰な負荷が生徒を疲弊させるようでは教育本来の目的が失われます。学習内容の精査と取捨選択は、教育課程の根幹に関わる課題です。
「大変だ」という生徒の声は、単なる愚痴や個別の不満ではなく、制度設計そのものに起因する問題を映し出しています。この声を現場の実感としてすくい上げ、政策論議へとつなげていくことが求められているのです。教育課程の適正化は、受験対策の効率化のためだけでなく、生徒が主体的に学びを深める余地を確保するために不可欠なのです。