校長ブログ
紙と鉛筆の力
2025.10.06
教科研究
10月6日
日本の科学者がノーベル賞を受賞するたびに、私たちは胸を熱くし、未来への希望を見い出してきました。湯川秀樹博士の受賞が報じられたのは、戦後まもない混乱の時代。物資も情報も乏しかった中で、湯川博士は「紙と鉛筆」だけで世界に通じる理論を打ち立てました。昭和天皇がその功績を「日本のほこり」と讃えられたのは、科学の力がこの国の誇りであった証しです。
その後も、朝永振一郎氏や赤崎勇氏といった研究者たちが、自らの思索と探究心を信じ、世界の科学を前に進めてきました。彼らに共通していたのは、効率ではなく「好奇心」を原動力にしていたこと。流行を追うのではなく、自らの問いを掘り下げることこそが、真の研究者の姿でした。
ところが今、日本の科学は岐路に立っています。論文数や被引用数など、客観的な指標は明らかに低下しています。若手研究者の数も減り、非正規雇用や資金難に苦しむ現場には閉塞感が漂っています。結果をすぐに求める風潮は、挑戦的な研究を育てにくくしているのです。
研究には「ムダ」が必要です。すぐに成果が出ない研究の中にこそ、未来を変える種が潜んでいます。経済の低迷により、政府は実用化が見込めるプロジェクト型研究に注力してきましたが、ゴールありきの研究は将来の種をまくという点では?でした。研究が大きく成功する確率は、千に二つか三つと言われます。だからこそ、挑戦して失敗することを認め、ムダを承知で研究費を投じる勇気が必要なのです。大隅良典氏の言葉にあるように、成果を急ぐあまり自由な発想が抑え込まれてしまえば、科学の火は次第に弱まってしまいます。
教育現場でも同じことが言えます。生徒に正解を求める学びだけを課していては、創造性や探究心は育ちません。むしろ、Why?と問いを立て、自分の仮説を確かめる力を伸ばすことこそ、これからの教育の使命です。目的を超えて、問いの連鎖を生み出す構造をどう支えるかが、今、教育に問われています。
日本が再び科学立国としての誇りを取り戻すためには、政策の見直しだけでなく、探究を支える文化をもう一度取り戻す必要があります。資金や制度を整えることも大切ですが、何よりもまず問いを大切にする社会へと意識を変えること。その第一歩は、学校教育から始まります。
「紙と鉛筆があれば、頭脳次第で世界を動かせる」という湯川博士の言葉は、今もなお深い示唆を与えています。効率や成果を追う前に、もう一度、好奇心から始まる学びの原点に立ち返りたいと思います。