校長ブログ
数学の力を活かすために
2025.10.29
教科研究
10月29日
宇宙の法則を解き明かし、情報科学や物理学の基盤を支えてきた数学は「科学の女王」と呼ばれます。今年5月、京都大学の柏原正樹特任教授が「数学のノーベル賞」と称されるアーベル賞を受賞されました。「D加群」と呼ばれる理論を確立したその功績は、日本の数学研究の水準が世界でも高く評価されていることを示しています。フィールズ賞の受賞者もこれまでに3名を輩出しており、基礎研究の分野では誇るべき成果を上げてきました。
しかし、産業への応用という視点で見たとき、日本は欧米に後れを取っています。AIやIT分野は、代数学や確率論といった数学の応用によって急速に発展してきましたが、スタンフォード大学によると日本の研究開発力は2024年時点で中国やインド、韓国を下回る9位にとどまっています。クラウドサービスに依存し、数兆円規模の赤字が生じている現実は、研究と産業との接続が不十分であることの表れです。
リチウムイオン電池の事例が象徴的です。日本の研究者が先駆的に成果を挙げ、ノーベル賞を受賞したにもかかわらず、産業競争力の面では海外にシェアを奪われてしまいました。数学も同じ轍を踏みかねません。その危機感から、文科省、数学界、産業界が連携し、応用数学の拠点づくりを始めています。九州大学の「マス・フォア・インダストリ研究所」は、企業と研究者が共に問題解決に取り組む場を提供し、すでに児童の保育所割り振りソフトや、電力需要予測AIの開発など、実社会での成果を上げてきました。自治体や企業からの期待も高まり、年間200件を超える交流が生まれているそうです。
こうした動きは、応用を目指すだけでなく、基礎研究に新しい視点をもたらし、逆に新たな理論を生み出す契機にもなっています。「社会で役立つ数学」から「社会を変える数学」へ。その転換は、日本の未来にとって極めて重要です。
ただし課題は明確です。それは人材です。米国のIT企業は毎年100人規模で数学博士を採用し、産業革新をけん引してきました。一方で日本の博士号取得者は全国でようやく100人余り。そのうち企業で活躍するのはごく一部です。応用数学を軽視してきた教育のあり方、そして企業に数学者を孤立させない仕組みづくりの不足が背景にあります。
教育現場で生徒たちに数学をどう学ばせるかを考えるとき、単なる「受験の道具」としての数学にとどまってはいけないと痛感します。論理的思考力を育むだけでなく、未来の社会を支える産業や研究につながっていく学問であることを、若い世代に伝えていく必要があります。
「数学の力をどう活かすか」。それは教育界、研究者、産業界、そして社会全体の課題です。基礎と応用の橋を架け、人材を育て、数学を未来の力に変えていく。その挑戦に、日本は今まさに立ち向かっているのです。