校長ブログ

データサイエンス

2025.11.18 教科研究

1118

 文科省が公表した全国学生調査によると、データサイエンスや数理・統計の知識・技能が「身に付いた」と答えた大学生は、わずか半数程度にとどまったとのこと。AIやビッグデータの時代において、これらはまさに「読み・書き・そろばん」に匹敵する基礎力であり、今後の社会を切り拓く上で不可欠な素養です。しかし現状では、教育の側が十分に応えきれていない姿が浮き彫りになっています。

アートボード 1.jpg

 調査結果を見ると、理系の学生では7割を超える一方、人文や教育系の学生は4割程度にとどまります。専攻によって学びの機会が大きく異なり、結果として社会に出た時に情報格差を生みかねないことが懸念されます。非常に大きな課題を突き付けられた思いです。

 背景には、指導者不足という構造的な問題があります。データサイエンスの専門家は、企業や研究機関からの需要が高く、大学が十分に人材を確保するのは容易ではありません。その結果、カリキュラムが整っていなかったり、授業の内容が学生の関心やレベルに合わず、学びが継続しにくい現状が生じているのです。

 この課題にどう向き合うべきか?ここで大切になるのは、誰もが初級レベルの素養を身につけるという発想です。専門家になる必要はなくとも、データを読み解き、根拠をもとに判断する力は、どの分野でも共通して求められる力です。特に文系や教育系の学部においても、基礎的なスキルを全員が習得できる仕組みを整えることが急務だと感じます。

 一方で、この動きは単に技術教育を増やすという話にとどまりません。データを扱う力は、批判的思考や問題解決力とも直結しています。つまり、教育の本質である「よりよく生きるための知」を支える柱とも言えるのです。だからこそ、データサイエンス教育を単独の専門領域と捉えるのではなく、教養教育の一環として位置づける視点が不可欠です。

 文科省は今後、文系学部を対象にモデル校を指定し、5年かけてカリキュラムを開発するそうです。これは大きな一歩ですが、その成果を全国にどう広げていくのかが問われます。こうした流れを単なる制度設計に終わらせず、実際に学生一人ひとりの力に結びつけていくことが不可欠です。

 教育の役割は、時代に応じて常に問い直されます。AIやデータが社会の基盤となる今、大学生が卒業する時点で確実に身につけておくべき力をどう保障するか。その課題に、教育者が本気で向き合わなければなりません。