校長ブログ

英語教育を考える㉞-政策と現場のあいだで :CEFR導入がもたらす課題と希望

2025.12.18 教科研究

12月18日

 CEFR導入は、単なる制度改革ではなく、教育文化の転換を求める挑戦です。評価を変えるとは、学びの意味を変えること。教師が互いに学び合い、生徒の成長を言語化し、共有する。その営みが続く限り、CEFRは書類上の改革ではなく、学校文化としての改革になるのです。制度と現場の乖離を埋めるのは、いつの時代も人の力。政策の意図を理解しながらも、現場のリアリティに根ざした英語教育の在り方を模索し続けたいと思います。今回は大学教員との対談から。

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S教授:今日は「CEFR導入と評価の課題」についてお話を伺いたいと思います。文部科学省はこの数年、CEFRに準拠した英語教育を掲げ、学習指導要領もそれを意識して改訂してきました。しかし、統計を見ると、英語を使う学習機会は確かに増えたものの、実際の英語力向上にまでは結びついていないと指摘されています。このギャップをどう感じておられますか?

校長:CEFRの理念そのものは素晴らしいのですが、理念を現場に落とし込むプロセスが十分にデザインされていないのが実情だと思います。CEFRは本来、何ができるか(Can-do)を軸に学習者の言語使用能力を捉えるものですが、学校現場では依然として文法・語彙の知識偏重や、ペーパーテスト中心の評価が残っています。その結果、活動は増えたけれど、力が伸びた実感がないという構図になっているのではないでしょうか?

S教授:確かに、CEFRのCan-do記述を評価基準に反映させようとすると、教師側の理解と力量が問われますね。学校現場では、どのような困難があるのでしょうか?

校長:一つは、評価の共有基盤がないことです。同じCan-do文でも、学校や教員によって解釈に温度差がある。もう一つは、研修の不足です。CEFRの概念を理論として理解しても、授業でどう活かすか、評価でどう使うかは別の問題です。本校では、ルーブリック評価を導入し、教員同士でパフォーマンステストの評価観をすり合わせる取り組みを推奨しています。時間もかかりますが、それこそがCEFRを制度ではなく文化として根づかせる第一歩だと思っています。

S教授:興味深いですね。つまり、単にCEFRを導入するだけではなく、それを共有する言語文化を校内で育てていくわけですね。

校長:制度が上から降りてくるだけでは、現場は動きません。評価改革の本質は、教員が自ら学び、仲間と議論しながら新しい基準を再構築するプロセスにあります。AI時代の今こそ、人間同士の対話が不可欠です。

S教授:なるほど。ところで、平井校長はCEFRをどう生徒たちに伝えられているのでしょうか?A2やB1といったレベル表記は、彼らにとっては少し抽象的ではないでしょうか?

校長:ええ。数字や記号で示すより、ルーブリック評価で「あなたは英語でここまでできるようになった」というようなフィードバックをカリキュラム・マネジメントしています。学びの達成を行動で示すことが、CEFRの本来の精神ですし、生徒の自己効力感にもつながります。

S教授:確かに、そうした定性的な評価が定着すれば、英語教育全体が変わっていきそうです。ただ、全国的にはまだペーパーテスト中心の構造が残っています。

校長:その通りです。だからこそ、制度と現場の間をつなぐことに注力しています。政策をできない理由で終わらせず、どうすればできるかを模索する。それが管理職の役割だと考えています。