校長ブログ
敬意とユーモアを忘れない社会
2026.01.29
トレンド情報
1月29日
スポーツの現場では、かつて観客のヤジが一つの文化として息づいていました。選手も観客も、互いに人間味のあるやり取りを楽しみ、その場の空気に自然な笑いが生まれていました。多少の毒気があっても、どこかに愛情とユーモアが宿り、場の温度を支えていたように思います。しかし近年、その文化は急速に姿を変えつつあります。敬意を欠いたブーイングや中傷が目立ち、心ない言葉だけが独り歩きしてしまう状況を寂しく感じます。
象徴的だったのは、ドジャースの大谷翔平選手の対応です。挑発的な声を浴びながらも、本塁打を放った直後に相手ファンへ駆け寄り、笑顔でハイタッチを交わした姿は、多くの人の心に残ったのではないでしょうか。あの一瞬には、スポーツが本来もつ寛容さや、言葉の行き違いすら包み込む大らかさがありました。ただ、そもそものヤジにはウィットもひねりもなく、もし大谷選手の人間力がなければ、険悪な場面で終わっていた可能性もあります。
一方、SNS上では状況はさらに深刻です。匿名性が高いがゆえに、人格否定や脅迫まがいの言葉さえ平然と投げつけられます。「見なければよい」と言われても、家族に影響しうる投稿があれば無視できません。ネット空間では「相手も自分と同じ人間である」という感覚が薄れやすいという指摘には、強くうなずかされます。
だからこそ、昔のヤジ文化が持っていた愛情とユーモアは貴重でした。選手の実力を認めた上で、「惜しいな」という気持ちを込める。謎かけや機知で毒気を和らげ、むしろ場を明るくする。そこには、人を傷つけるのではなく、場づくりに寄り添うための知恵があったように思います。
教育の現場も同じ構造を抱えています。批判を封じる必要はありません。しかし、相手の努力や立場への理解を欠いた言葉は、ただの攻撃になってしまいます。改善の提案も、そこに敬意とユーモアが少し添えられるだけで、人を動かす力がまったく変わります。教育の現場も同じ構造を抱えています。批判を封じる必要はありません。しかし、相手の努力や立場への理解を欠いた言葉は、ただの攻撃になってしまいます。改善の提案も、そこに敬意とユーモアが少し添えられるだけで、人を動かす力がまったく変わります。生徒たちにも言葉を選ぶという行為の重みを丁寧に伝えていきたいと感じています。
昨年、日本のプロ野球で、サヨナラ本塁打を放った選手が投げたヘルメットを、相手チームの選手がそっと拾って返す場面がSNSで話題になりました。ほんの小さな優しさですが、人々はこうした温かい出来事に渇望しているように思います。本来、スポーツも、社会も、このような光景で満たされるべきです。
ヤジ文化にはこんな逸話もあります。慶應義塾大学の池井優名誉教授によれば、かつてニューヨーク・メッツには「サインマン」と呼ばれる名物ファンがいたそうです。相手投手がKOされ、救援投手がバギーに乗って出てくると、「キープ・ザ・モーター・ランニング」と書かれたプラカードを掲げる。すぐ交代だからエンジンはつけたままの方がよい、というウィットの効いた合図です。単なる野次ではなく、会場を温める"芸"として愛されました。
怒りや失望を表すこと自体は自然なことです。しかし、そこにほんの少しの愛情とユーモアがあれば、言葉は人を傷つける刃ではなく、思いを橋渡しする力へと変わります。正しいヤジの技術は、現代社会のコミュニケーション全体に必要な知恵を示唆しているように思います。