校長ブログ

プログラミング教育:学びの作品化

2026.02.26 カリキュラム・マネジメント

2月26

 生成AIの急速な普及により、学校におけるプログラミング教育は大きな転換点を迎えています。広島大学の宮島衣瑛氏が提唱する「学びの作品化」の視点は、現場で生徒たちの学びと向き合う上で、今日的な意義をもつ重要な考え方だと思います。

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 プログラミング教育が必修化されて5年が経過しました。この間、生徒たちを取り巻くテクノロジー環境は劇的に変化しました。AIを活用すれば、コードを書いた経験のない生徒でも、アプリや文章を短時間で生成できるようになっています。こうした状況において、単に手順としてのコーディングを教えることが、生徒たちの将来にどれほど貢献するのかを、改めて問い直す必要があるのではないでしょうか?
 現代に求められているのは、AIが生成した情報を無批判に受け入れる姿勢ではなく、「それは自分にとって美しいのか」「本質的な価値があるのか」を主体的に判断する力。その判断の基盤となるのは、生徒自身の価値観や美意識であり、それらは本物に触れ、本物をつくる経験を通して初めて培われます。

「学びの作品化」は、まさにその経験を体系的に保障する営みです。例えば、フードロスの問題を学んだ生徒がアニメーションやゲームとして表現し、仲間と共有し、批評を受けて改良していく過程では、必ず試行錯誤や葛藤が生じます。しかし、その過程こそが創造の本質であり、シーモア・パパートが述べた"Hard Fun"の精神が息づく場となります。

 現在、中央教育審議会では次期学習指導要領の議論が進んでいます。論理的思考力の育成を中心に据える時代は転換期を迎えており、学びはより広い創造性の涵養へと向かいつつあります。生徒たちは「役に立つから」プログラミングを行うのではありません。表現したい内容があり、「つくりたい」という内的動機があるからこそ、学習に没頭するのです。

 今後の学校教育に求められるのは、生徒が「つくりたい」と思える出会いを豊かに提供し、端末を"消費の道具"から"創造のメディア"へと再定義することです。また、生成AIは排除すべき存在ではなく、創造を支える適切な補助的手段として位置づける必要があります。

 生成AIが社会の構造を変える時代において、生徒たちに不可欠なのは「つくる喜び」と「価値を見極める力」です。この両者を育む「学びの作品化」は、これからの教育における重要な柱になると確信しています。

 生徒たちは「学びの作品化」を通して、授業で得た知識を自分の言葉で語り直す経験を重ねます。その語りには個々の現実認識が反映され、ペーパーテストでは見えにくい多様な学びの姿が浮かび上がります。学習は、知識を「理解する」段階で終わるのではなく、「では、何がつくれるのか」という再構成の段階へ進む必要があります。学んだことを生活世界に置き直し、多様な作品として生み出していく営みにこそ、これからの学びの本質があると考えています。