校長ブログ
英語教育を考える52:教科書をすべて教えるから必要な学びを設計する指導へ
2026.03.30
英語教育
3月30日
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教員:英語の授業づくりについて相談させてください。どうしても教科書を最初から最後まで、漏れなく教えなければならないという意識から抜けきれません。
校長:その悩みは多くの先生が感じているところだね。でもね、まず押さえておきたいのは、教科書は教え切るための完成形じゃない、ということだよ。
教員:完成形ではないと言いますと?
校長:教科書はあくまで学習材の集合体だね。文科省が示す学習指導要領を踏まえて構成されているけれど、それはこの順番で、この深さで教えなさいという設計図ではない。教師が学びをデザインするための素材集なんだよ。
教員:素材として扱う、という発想はあまり持てていませんでした。
校長:無理もないよ。これまでの英語教育は、どうしても「扱った=教えた」「説明した=学ばせた」になりがちだったからね。でも第二言語習得研究では、知識の提示よりも、意味理解と使用を伴う経験、つまり meaning-focused instruction が学習定着に大きく影響するとされているんだね。
教員:すると、教科書本文をすべて精読すること自体が目的ではない、ということですね。
校長:その通りだよ。例えば、ある単元で大切にしたいのが情報を尋ね、答えるという言語機能だとする。そうであれば、本文の細かい語彙や文構造をすべて説明するより、その一部を使ってペアやグループでやり取りをさせるほうが、学びとしては本質的だね。
教員:ただ、教えなかった内容がテストや評価で問われるのでは、という不安もあります。
校長:単元単体、授業単体で完結させようとすると不安になるよ。でも、年間計画や学年を越えた系統性で見れば、今回は触れる、次で使えるようにする、最終的に運用できるようにするという役割分担ができるんだね。
教員:縦のつながりを意識するということですね。
校長:そう。文法指導も同じだね。ある時は明示的に扱う、ある時は気づかせる、ある時は使わせる。すべてを一度で完結させる必要はない。教師は教科書の編集者であり、学習経験の設計者なんだ。
教員:教科書中心ではなく、学習者中心の設計ですね。
校長:まさにそこだね。学習者自身、何ができるようになるのか、CAN-DOの視点で単元を捉え直すと、教える内容の取捨選択が見えてくる。教える量を減らすことは、決して質を下げることじゃない。むしろ、学びを深く、確かなものにする専門的判断だよ。
教員:教師の役割が、かなり変わってきますね。
校長:でもそれは、教師の専門性が軽くなるということじゃない。逆に、教科書をどう使い、どんな学びをデザインするかが教師の力量そのものになる時代だよ。英語指導は、そこが一番おもしろいところだと思うんだけどね。
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