校長ブログ
AI時代にこそ、学びは身体から
2026.03.28
EdTech教育
3月28日
AIが急速に進化する時代に、教育はどこへ向かうべきなのか?学校現場にいると、この力は将来も意味を持つのか?という問いを、子どもよりもむしろ大人の側が抱えていることを強く感じます。知識や技能の習得は依然として重要です。しかし、それだけでは足りないことを、生成AIの登場ははっきりと示しました。
象徴的な事例があります。東京都武蔵野市の保育園「biima school」では、ある日の午前、子どもたちが公園で十分に体を動かした後、室内運動場に移動し、休憩を挟んでさらに1時間、サッカーのドリブルを基にした運動に取り組んでいました。目的は競技力の向上ではありません。走る、止まる、向きを変えるといった動きを通して、自分の身体をどう扱えばよいかを感じ取り、試し、修正することにあります。ここで育てられているのは、体力以上に自分で調整し、学び続ける力です。
保護者の関心が高いのも頷けます。説明会では、これからの時代、どんな力を身につけさせればよいのか?といった類の問いが繰り返されるといいます。生成AIが知識処理の多くを担う時代に、正解を早く出す力だけを競っても意味は薄れます。むしろ、正解のない状況で立ち止まり、考え、試す力こそが問われています。
人工知能学会会長の栗原聡氏(慶應大学教授)は、生成AIを「アンコの詰まっていない巨大な薄皮まんじゅう」と表現しました。AIは膨大な知識を扱えますが、「生きたい」「こうありたい」といった動機や欲求を持ちません。だからこそ、学びの中心には、人が身体を通して得る実感や感情が必要なのです。
台湾の「種の親子実験小学校」で行われている子どもたちの「法廷」は、その好例でしょう。友だち同士のトラブルを題材に、事実を整理し、互いの気持ちを言葉にする。論理的思考と同時に、感情を理解し合う力が育まれます。重要なのは、こうした経験が、特別な教育ではなく日常の中に組み込まれている点です。
この流れは、中等教育や高等教育にも確実につながります。三重県の高専生たちが、現場に立ち、自分の手で試作品を作りながら課題解決に挑む姿は、その延長線上にあります。問題に直面したとき、まず手を動かしてみる。失敗を通して現実を知る。この姿勢があるからこそ、AIを「使われる側」ではなく「使いこなす側」に立てるのです。
私は、保育・初等教育から中高、大学まで、教育は一本の軸で貫かれるべきだと考えています。その軸とは、身体を通して世界と関わり、自分で意味をつくる力です。頭脳偏重から、身体と感性を取り戻す教育へ。これは過去への回帰ではなく、AI時代における最も現実的で先進的な選択です。
子どもたちは、これからも自分の手と体を使いながら学び続けます。大人の役割は、答えを先回りして与えることではありません。試し、迷い、考えることができる環境と時間を、学校の中にきちんと用意すること。その覚悟が、今、教育に問われているのだと思います。