校長ブログ

せかさない教育

2026.05.12 グローバル教育

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5月12日

 生成AIの急速な進展によって、人間の「知」の価値が改めて問い直されています。知識の蓄積や計算、文章作成の多くを人工知能が担える時代に入りました。さらに世界では分断や対立が深まり、人間社会そのものの在り方も揺らいでいます。こうした時代において、人間に求められる力とは何でしょうか?今、世界各地の教育の現場を見ていると、一つの共通した方向性が見えてきます。それは「せかさない教育」です。

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 例えば、オランダの教育には象徴的な特徴があります。それは留年が特別なことではないという点です。子供の成長には個人差があります。もし成長がゆっくりであれば、学年をもう一度経験することは自然な選択肢と考えられています。実際、OECDの調査でも、オランダでは小中学校の間に一度以上留年を経験する児童生徒が2割以上にのぼります。年齢や学年よりも、子供の発達のリズムを尊重する教育文化がそこにはあります。

 日本では、4月生まれと3月生まれの子供が同じ学年として扱われ、ほぼ自動的に進級します。しかし世界的に見れば、これはむしろ少数派です。個々の成長速度を前提とした柔軟な教育制度の方が一般的なのです。

 また近年、日本から海外へ「教育移住」をする家庭が増えていることも注目すべき現象です。例えばマレーシアでは、政府が教育ハブ戦略を掲げ、海外のインターナショナルスクールを積極的に誘致してきました。その結果、2010年に76校だったインターナショナルスクールは、2025年には249校まで増加しています。多様な国籍の子供たちが学ぶ環境の中で、議論や探究を中心とした教育が展開されています。

 こうした教育を経験した子供たちは、「自分の意見を求められる授業が多い」「得意な分野を伸ばしてくれる」と語ります。日本のように全員を同じレベルにそろえる教育とは、発想が大きく異なるのです。

 ヨーロッパにも興味深い制度があります。アイルランドの多くの学校では「トランジションイヤー」と呼ばれる1年間のプログラムが設けられています。この期間、生徒は競争的な学習から一度距離を置き、仕事体験やキャリア教育、社会課題についての学習に取り組みます。導入当初は「時間の無駄」という批判もありましたが、現在では全国の学校のほぼすべてが採用し、多くの生徒が参加しています。

 さらにデンマークには「エフタスコーレ」という寄宿学校があります。若者が1年間、親元を離れて共同生活を送りながら、自分の興味や将来を見つめる学校です。スポーツ、芸術、科学など多様な活動を通じて、自立心や自己理解を深めていきます。いわば「人生の空白期間」をあえて教育制度の中に組み込んでいるのです。

 興味深いことに、こうした「せかさない教育」を持つ国々は、世界的に見ても労働生産性が高い国として知られています。子供時代に十分な時間をかけて自己理解を深め、自分の強みを育てた人材が社会を支えているからでしょう。

 AI時代において重要なのは、単なる知識量ではありません。自ら問いを立て、他者と対話し、未知の課題に向き合う力です。そしてその力は、競争に追い立てられる環境よりも、むしろ余白のある学びの中で育まれます。教育とは、本来「人の成長を信じて待つ営み」です。世界の教育が示しているのは、まさにその原点なのかもしれません。