校長ブログ
英語教育を考える61―EMIとイマ-ジョン
2026.06.02
英語教育
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6月2日
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校長:近年、大学では英語で学ぶ、いわゆるEMI(English as a Medium of Instruction)の導入が現実的なテーマになってきているね。本校でも検討を進めているけれど、あわせて英語イマージョン授業との関係整理が重要だと思っているよ。
教員:EMIの意義は理解できるのですが、生徒の理解が浅くなるのではないかという懸念があります。また、イマージョンとの違いが曖昧で、現場としては戸惑いもあります。
校長:その懸念はもっともだね。まず明確にしておきたいのは、EMIとイマージョンは同一ではないという点だよ。イマージョンは原則として英語のみで学習環境を構成し、言語習得そのものも目的に含む。一方、EMIは教科学習の達成を主目的として、その手段として英語を用いるものだね。
教員:つまり、EMIでは日本語の使用も許容されるということでしょうか?
校長:そうだね、必要に応じて戦略的に用いることになるよ。重要なのは言語の"純度"ではなく、生徒の理解の質なんだ。思考の深さが損なわれては意味がないからね。
教員:なるほど、英語か日本語かという二項対立ではないのですね。
校長:その通りだよ。私は、EMIとイマージョンを連続体として捉えるべきだと思っているんだ。どの教科で、どの単元で、どの程度英語に浸すのかは、カリキュラム全体の中で設計する必要があるね。
教員:カリキュラム・マネジメントの視点ですね。
校長:そうだね。EMIやイマージョンを単なる授業技術として扱ってはいけないよ。学習目標、評価方法、教材、言語使用の方針を一体的に設計する必要がある。例えば、概念形成の初期段階では日本語を用い、応用や発信の段階では英語による活動を強化する、といった段階的な設計が有効だね。
教員:イマージョン的な要素を部分的に取り入れるということですね。
校長:そういうことだね。全面的なイマージョンが常に最適とは限らないよ。生徒の実態に応じて、どの程度の言語環境が最も学びを深めるのかを見極める必要があるんだ。
教員:一方で、教員側の負担も大きいと感じています。英語で授業を行うには相当な準備が必要です。
校長:その通りだね。ただし、それを個々の教員の努力に委ねてはいけないよ。教科横断的なチームで教材を開発する、授業実践を共有する、といった組織的な支援が不可欠だね。
教員:教職協働の推進ですね。
校長:まさにそうだよ。EMIもイマージョンも、個人技では成立しないんだ。学校として知見を蓄積し、改善を重ねるプロセスそのものが重要なんだよ。
教員:生徒にとってのメリットについてはどのようにお考えですか。
校長:一つは、英語を使う必然性が生まれることだね。特にイマージョン的な環境では、英語で考え、表現する経験が日常化する。もう一つは、知識を言語に依存せず構造化する力が育つことだよ。
教員:言語を越えて理解する力ですね。
校長:そうだね。異なる言語で同じ概念に向き合うことで、生徒は本質的な理解に迫ることができる。これは単なる暗記では到達できない学びだよ。
教員:確かに、それはこれからの時代に求められる力だと思います。
校長:その通りだね。そして、生徒はその過程で"どのように学ぶか"を学ぶんだ。これは汎用的な資質・能力として極めて重要だよ。
教員:EMIやイマージョンを成功させるために、最も重要なことは何でしょうか?
校長:目的の共有だね。なぜ英語で学ぶのか、どのような生徒を育てたいのか。このビジョンが教職員の間で共有されていなければ、英語使用そのものが目的化してしまうよ。
教員:理念と実践の往還が必要ですね。
校長:そうだね。理念なき実践は持続せず、実践なき理念は空虚だよ。EMIとイマージョンは、その両者をつなぐ挑戦なんだ。
教員:わかりました。まずは単元レベルでの設計から始めてみたいと思います。
校長:重要なのは、生徒の学びの質を中心に据えることだよ。そのために、対話と実践を重ねていく必要があるね。
教員:方向性が明確になりました。ありがとうございます。
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