校長ブログ

問いを立てる

2026.07.15 教科研究

この記事は音声でも、お聴きいただけます。

7月15日

「なぜ学ぶのか」という問いを繰り返し投げかけています。今や、AIが瞬時に答えを示し、検索すればあらゆる知識にアクセスできる時代。だからこそ、これからの教育において本当に大切なのは、「答えを知っていること」ではなく、「自ら問いを立て、考え続けること」が重要です。

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 最近、「教養としての数学」というテーマについて改めて考える機会がありました。数学というと、多くの人は公式や計算を思い浮かべるかもしれません。しかし、本来の数学の価値は、単なる計算力にあるのではありません。物事を論理的に捉え、本質を見抜き、因果関係を整理しながら考える力を育てるところにあります。

 文理融合が推進する中で、教科を超えて共通する「思考の土台」が存在すると感じています。英語教育でも、探究学習でも、ICT活用でも、最終的に問われるのは「どのように考えるか」です。数学的思考とは、理系のためだけのものではなく、社会を生きるすべての人に必要な力なのです。

 例えば、コロナ禍において「人との接触を8割減らす」という数理モデルが社会全体を動かしました。そこには数学的分析がありました。しかし同時に、経済活動や学校教育、地域社会をどう維持するのかという別の視点も求められました。数字だけでは解決できない課題に、私たちは向き合っていたのです。

 だからこそ、教育には「具体と抽象を往復する力」が必要です。目の前の現象を見ながら、その背後にある構造を考える。そして再び現実社会に戻して考える。この繰り返しが、本当の意味での思考力を育てます。

 今、生成AIは急速に進化しています。確かに便利です。しかし、AIが示した答えをそのまま受け入れるだけでは、人間の思考力は衰えてしまいます。生徒たちには、「まず疑ってみよう」と話します。もちろん否定するためではありません。「なぜそう言えるのか」「別の見方はないのか」を考えるためです。健全な懐疑心こそが、学びを深める原動力になるからです。

 大学では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます。それは、自ら問いを立て、その答えを探究する存在だからです。しかし本来、その姿勢は高校段階から育てていかなければなりません。受け身で知識を覚えるだけではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で語る力が必要です。

 本校でも、教科横断型の探究学習や国際協働学習を通して、生徒たちが多様な価値観に触れ、自分の考えを深める機会を大切にしています。異なる背景を持つ人との対話は、新しい視点を生みます。そこにこそ、学びの本質があります。

 これからの時代、正解を早く出す力だけでは社会を生き抜けません。むしろ、「問い続ける力」を持った人こそが、新しい価値を創り出していくのだと思います。学ぶとは、自分自身の世界を広げることです。そして、自らの可能性を更新し続けることです。生徒たちには、教科や専攻の枠を超え、自由な発想で学び続けてほしい。そして、自分自身の問いを持ちながら、未来を切り拓いていってほしいと願っています。